20年越しに決意した「移住」という選択。美しい棚田と人の温かさに惹かれて。【福知山移住者インタビュー/大江町・毛原】
新型コロナウイルスの影響(以下、コロナ)をきっかけに、働き方や暮らし方が多様化している近年。自らの生き方を見つめ直し、「移住」という選択をする人も増えています。福知山市でも、さまざまなバックグラウンドを持つ方が移住されています。
「福知山移住者インタビュー」では、福知山へ移住した方々に、暮らし、しごと、人とのつながりなど、どのようなきっかけで福知山を移住先に選んだのかをお聞きし、「移住者から見る福知山の魅力」を紐解いていきます。
今回は、大江町・毛原地区に移住された山村哲史さんにお話を伺いました。
「展望台からむらを眺めると、本当にいいところだなって思いますね」
特におすすめは夏の景色で、「風が吹くと、青い稲穂が波打ってるように見える」と山村さんは話します。教えてもらった展望台からまちを見てみると、傾斜面に階段状に作られた棚田、青々とした緑、人が暮らす家。まるで一枚の絵のような景色が広がっています。
地域とつながった「棚田体験ツアー」
福知山と山村さんの縁がつながったのは、およそ20年前。当時大学生だった山村さんは、実習の一環として地元の人に農業や農村での暮らしについてインタビューを行っていました。
「最初は隣の佛性寺でインタビューを予定していたんですが、毛原で「棚田農業体験ツアー」(現・棚田「体感」ツアー)を始めたことを知って、せっかくなら話を聞きに行きたいと私含めて4人で参加したんです。おもしろい話が聞けてたというのもあったけど、その後に打ち上げで地元の人と一緒にお酒飲んでしゃべって…ほんとに楽しかったんですよ」
再び、稲刈りの時期に泊りがけでツアーに参加し、今度は準備から地元の方と一緒に行ったそう。さらに卒業論文のテーマとして農村の暮らしや棚田について書くことに決め、その後も何度か毛原を訪れました。
毛原の棚田:www.keharanotanada.com
卒業後は新聞社に就職し、度重なる転勤で東京や九州など遠方で暮らしていた時期もありましたが、それでも地域の人たちとの交流は続き、田植えや稲刈りの時期には必ず毛原を訪れていました。
「毛原は小さなむらだから何回か顔を見せると覚えてくれて、だんだんと親しく話せる人も増えていきました。農業も好きでしたし、何より毛原の人に会いに行きたいと思うんですよね」
新聞記者として多忙な日々を過ごす中でも、時間を見つけては毛原に訪れていた山村さん。しかし、約20年続けた仕事を離職したことをきっかけに、毛原との付き合い方が変化していきました。
度々訪れる「来訪者」から「移住者」へ
結婚をし子どもが生まれてからは、毛原の人たちとは家族ぐるみの付き合いになっていました。
変化のきっかけは、2人目が生まれた時。
「その時、僕が単身赴任だったんで、妻はかなり大変で。さらにその後、妻が仕事の関係で1年間海外赴任することになったので、そのタイミングで僕は仕事を辞めて、家族中心の暮らしをすることにしました。帰国してからは、農業社会学の勉強をしようと思って大学院に入ったんです。新聞社では農林水産省の担当だったこともあり、将来的に農業政策など専門性の高いライターとしてやっていけたらと思って」
ちょうど毛原では、「棚田オーナー制度」に取り組んでいました。これは年間12回〜20回ほど来訪し、地元の農具を借り、指導を受けながら米作りを実施する制度。山村さんもオーナーに手を挙げたものの、コロナで一時中止となってしまいました。
そんな折、山村さんに声をかけてくれたのが先輩移住者の川瀬 保さんでした。川瀬さんは山村さんと同じく、棚田農業体験ツアーの第1回目の参加者。2008年に毛原に移住し、農業と農家民宿を営んでいました。
「川瀬さんが『からだを悪くして田んぼをするのがしんどくなったので、もし山村くんが田んぼをしたいんやったら教えるよ』と言ってくれたんです。それで、2021年から川瀬さんがやっていた田んぼをそのままお借りして、川瀬さんや近所の櫻井(一好)さんに教えてもらいながら米作りを始めました」
米作りをするにあたって休憩できる場所を持ちたいと、今の家を紹介してもらうことに。そうすると今度は家の持ち主から「農地の管理もしてくれないか」という相談を受けます。
「最初は草刈りだけでもいいからと言われたんですが、相談した櫻井さんから『せっかくならお米を植えたらいいんちゃう』と言われて…(笑)。管理する田んぼが増えたし、借りた家を住めるように直すのも、移住した方が何かと便利だったこともあって。
何より、お世話になっている皆さんがどんどん高齢になってきて、頼ってばかりじゃなく自分でしっかりやっていかないといけないなっていう思いもあったんです。
家族とも話し合って、福知山に住所を移して『移住』という形をとることにしました」
移住者としての心構え
とはいえ、山村さん以外の家族の拠点は大阪にあるため、
主に平日は大阪、週末や米作りの繁忙期は福知山という2拠点で生活を送っています。
「基本的に子どもの送り迎えや家事などがあるので大阪で生活をして、週末は妻が仕事なので子どもを連れて毛原の家で過ごすことが多いです。子ども達は外に出て遊んでることもあれば、家でずーっと動画見てることもあります(笑)。でも毛原の家はキッチンが広いので好きな料理をしたり、自然の中で遊んだり…都会とは違う環境を楽しんでいるみたいです」
20年前から関わりがあるとはいえ、移住者として、農家としての生活はまだ始まったばかり。
住んでみてわかった大変さもあります。
「年配の人が多い地域なので40代でも若手とみられて、色々期待されることも多いんですよ。先輩移住者の中にはのんびり田舎暮らしがしたいと思って移住したけど、いろんな役が多くて都会よりも大変だと言っている方もいました。地元の人もそれをわかってくれているので『山村さんあんまり無理せんでいいよ』って声をかけてくれます」
言われたことを「全部やらないと!」と受け止めすぎず、無理をしない範囲で関わりを持つということも、地域と長く付き合うために大切なポイントだと考えていると山村さん。移住を検討している方には、こんなアドバイスも。
「私自身は地元の方と関わりを持ちたいと思っている方ですが、『ここまではできる、できない』と線引きをしながら付き合うのが良いと思っています。やはり、無理をしすぎてしまうと後でしんどくなってしまいますから。同じ福知山市でも地域によって求められる付き合いは違うと思うので、何回か通って、先輩移住者に話を聞いたりしながら自分に合うかどうか見極めるといいと思います」
山村さんも先輩移住者を見て学んだことが多かったそう。例えば、農業だけではなく、農業と別のものを組み合わせる暮らし方。
「『86farm&まころパン』の岩切さんは、 農業をしながら自分の畑で採れた野菜を使ったパンを販売していますし、川瀬さんや他の移住者の方も農家民宿やゲストハウスを営んでおられます。私も農業分野のライターとして、農業を組み合わせて収入に繋げていけたらと考えています」
毛原の棚田を未来に残すために
移住者として、そして棚田の担い手として歩み始めた山村さん。
毛原の一員となった今、地域の人口、そして農家の担い手も減り、将来的にどうしたら棚田を守れるかをより考えるようになったといいます。
「大学院でも棚田について研究し、日本全国の棚田に従事する方たちに話を聞いたり、フィリピンの棚田に行って意見交換をしたりしています。福知山でもワークショップを開いてフィリピンの棚田の様子を紹介しました。フィリピンの方々が手作業で田植えをしている写真を見せたら、地元の方々が『私たちももう少し頑張ろうか』と言ってくれていましたね」
今後は、かつての自分のように棚田に少しでも関わりを持つ人を増やしていきたいとのこと。
「棚田って上から水が段々流れていくから、自分のところだけやっていたらいい訳じゃないんです。米作りも、この美しい景観が保たれているのも、地域のみんなで協力してできていること。だからこそ、これから僕たちと一緒に農業をする人が1人でも増えてほしい。そんな方が増えるために何ができるかを考えて、地元の皆さんと一緒に取り組んでいきたいと思っています」
記事を読んで福知山での暮らしや農業に興味を持った方はぜひ、「福知山暮らし体感ツアー」にご参加ください。参加者の方の希望に沿って、その地域に暮らす移住者や地元の方からお話を聞いたり、移住についての不安や疑問などを市の職員に質問していただくなど、福知山の暮らしをもっと深く知ることができますよ。
【移住促進ウェブサイト「FUKUFUKU LIFE」】
移住に関する詳しい情報は、下記サイトも併せてご確認ください。
▼毛原の棚田について知りたい人はこちら「毛原の棚田」