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埼玉出身の東京っ子が、老舗鬼そば屋を継ぐ【福知山市 移住者インタビュー/佐々井飛矢文さん】

福知山市雲原地区
佐々井飛矢文(ささい としふみ)さん
雲原の大江山鬼そば屋、第七代共同店長。埼玉県出身。2014年頃から福知山市雲原へ滞在、2018年から鬼そば屋を経営。実はデザイナー・教員志望ながら、そば屋として移住を決めた。
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この記事は移住促進WebサイトFUKUFUKU LIFEに掲載された記事を、一部加筆・修正して転載しています。(2016年〈移住2年目〉インタビューをもとに2023年追記)
福知山市に移住された方が実際にどんな暮らしをしているのか、ぜひご覧ください。

ーー埼玉出身の東京っ子が、山奥のそば屋になった?!移住のきっかけはなんでしたか?

雲原は、京都の大学院での調査対象地でした。
京都市のそば屋で修業していた経験があったため、話の流れで鬼そば屋さんでアルバイト。そして1年ちょっとで経営難になった店を引き継ぐことにして、雲原に正式に移住することにしました。

ーー移住の「決め手」はなんですか?

生計・生業・仲間
この3つがあれば、大都会も山奥もおなじです。だったら山奥でひと旗揚げてやろう、と。そば屋の経営は長い経験ある共同店長の麻美さんとふたりきりになり、生計を立てるために経営改善をするというのは不安な仕事でしたが、老舗を継げるということはほかにない機会でしたので、今しかないと思いきりました。また、アルバイト時代から雲原や福知山でもいろいろな可能性が広がりそうな仲間ができていたことは、大切な決め手ですね。
(……市役所の方々が楽しいのもいい)

ーー前の暮らしは?

東京で働き遊び、埼玉で寝る、典型的な「埼玉都民」の一家。通学で「所沢~さいたま~東京」の移動も存分に楽しんでいました。高校の頃でも学校前にカフェとか、大学院の頃はスコッチ片手に神楽坂歩いたりとか……(笑)。今でも都会は好きです、ただあの頃は心身ともに不健康で、悩みの種でした。まじめに学生として研究に取り組んではいました、それは後に福知山で開花することになります。

ーー実際に住んでみたら?

もう大変!地域仕事や行事などやることがいっぱい!地域の皆さんとともに草刈りや寄り合いに参加して汗を流したりお酒を酌み交わしたり。冬は雪かきがなかなかつらい。でも、そば屋の仲間や出会った方々と手を組んで暮らしているうちに、「一生やっていけるかも……」とやりがいを感じるようになりました。福知山の雲原の仏谷の老舗の鬼そば屋という小さな場所ですが、私が子供の頃から勉強して、大学院まで研究したこと、趣味として拡げていたものをすべて注ぎ込む舞台にできました。

実は「この街が好き!」で来たわけじゃないけれど、ここでの暮らしは大好きで、麻美さんたちのおかげもあって元気になってきました。それに、暮らしに困るようなことはほとんどありません。普通に暮らせる街であり、そこに普通に行ける距離の村であることが、とにかく日常の暮らしでは大切なことですから。

佐々井さんの1週間 移住前後比較

これまでにも、東京や京都の友達が、何人も雲原まで訪ねてきてくれました!公共交通で来てくれる人がほとんどで、意外なほど便利。京都も大阪も、伊丹空港だって近いから全国が近い。日本海はすぐそこ、歴史的名所や観光資源も豊富。
北近畿圏でも助けてくださる人、遊んでくださる方々がたくさんいらっしゃいます。
福知山は安心して移住できるところだと思いますよ。


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